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スペイン広場

カンポ・マルツィオ地区
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広場の歴史

今の華やかさからは想像しづらいですが、1500年頃、この広場の周辺は中心から外れた郊外に位置していました。ローマを訪れる巡礼者がまず行きつく場所だったので、周辺には多くの食堂や宿がありました。

広場の改革はフランス人によって統括されていたエリアから始まります。トリニタ・ディ・モンティ教会はフランスの国王ルイ12世によって建設されました。その後1700年代終わりにエジプト風のオベリスクが、教会の正面に設置されました。

まず1629年、ベルニーニによって小舟の噴水バルカッチャが建設されました。だいたい同じころ、スペイン広場の階段に向かって右側にある建物を駐バチカンスペイン大使館として使い始めます。

広場とその上に建てられたトリニタ・ディ・モンティ教会をつなぐ必要があったので、1726年ローマの建築家フランチェスコ・デ・サンクティスが135段の優雅な雰囲気の階段を作り上げました。

 

広場

広場の中央にはバルカッチャと呼ばれる舟形の噴水があります。その側には有名なスペイン階段があります。階段を上った先にはトリニタ・ディ・モンティ教会が、またその教会の正面には階段の下からでも見ることのできるサルスティア-ノのオベリスクがあります。このローマのオベリスクは410年西ゴート族の王アラリックがローマを占拠したときに倒されたエジプトのオベリスクを模倣して作ったもので、18世紀終わり頃この場所に設置されました。

フランス、スペインの要素が競い合っているこの広場ですが、そこにイギリスも加わります。階段の右側に、2人のイギリスの詩人ジョン・キーツとパーシー・ビッシュ・シェリーの住んでいた家がキーツ・シェリー記念館となって残っています。二人の死後、彼らの遺体はケスティウスのピラミッドの近くの非カトリック墓地に埋葬されました。

また、広場の階段の左側にはバビントンティールームがあります。このティールームは1800年代終わりに2人のイギリス人によって始められました。

最後に、広場の右のほうに進むと駐バチカンスペイン大使館があり、その正面に1850年頃に建てられた「無原罪の聖母の記念柱」があります。

小舟の噴水「バルカッチャ」

スペイン広場はとても美しい広場ですが、そのスパイスになっているのは階段と反対側のエレガントな通りをつなぐこの噴水です。

かなり傷んだ船がモチーフとなっています。

それは1598年に街を襲った洪水を基にしているためだ言われています。ローマ教皇ウルバヌス8世がスペイン広場を訪れた時、一艘の船が水に流されてきました。これにひどく驚いた教皇は、ジャン・ロレンツィオ・ベルニーニの父親ピエトロにこのことを忘れないために船の彫刻を依頼しました。

ウルバヌス8世の出身であるバルベリーニ家のシンボルの蜂と太陽を噴水に飾り付けました。

トリニタ・ディ・モンティ教会

階段の頂上から下を見ると、噴水からコンドッティ通りへと続く他では見ることのできないほど美しい風景を楽しむことができます。

私たちの背後には、サルスティア-ノのオベリスクとトリニタ・ディ・モンティ教会があります。ゴシック様式で造られており、フランス国王の命によりフランスの都市ナルボンヌから石が運ばれました。

16世紀初め、この場所には古代ローマの邸宅、ルキウスの邸宅跡しか残っていませんでした。そこでルイ12世は、フランスの領土であったこの場所にパオラのサンフランチェスコ率いるミニミ修道会の在ローマフランス人信者のための教会を建設することにしました。

 

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