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ヴィットリアーノ・エマヌエーレ2世記念堂

カンピテッリ地区

 

ローマの中心でイタリア国王の記念碑、無名戦士の墓です。

住所

Piazza Venezia

ヴェネツィア広場

 

ヴェネツィア広場はローマの地理的な中心にあります。

コルソ通りを背にして、この巨大で少し変わった広場を見ると、すぐ目に飛び込んでくるのは、真っ白な大理石でできたローマの風景とは馴染まない大きな建物です。

ガイドブックではヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂と呼ばれていることが多いと思いますが、地元の人からはヴィットリア-ノと呼ばれています。イタリア国王ウンベルト1世が父親であるヴィットリオ・エマヌエーレ2世を追悼するために建設させました。

広場の右側にはヴェネツィア宮殿があります。この建物の中心にあるバルコニーでは1940年6月18日、統帥ムッソリーニがこの広場を埋め尽くした大勢の支持者を前にイタリアの対英仏宣戦布告を表明しました。

ヴィットリアーノの右側奥には、2つの階段があります。1つ目は、サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会へ続くもので、2つ目はミケランジェロによって設計されたカンピドリオ広場に続くものです。

ヴィットリアーノの歴史

1870年のローマ占領の後、イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世はイタリア統一を成し遂げました。

イタリアの首都となったローマは新しい地区を建設するなど、首都にふさわしい街への改革が始まりました。

国王が亡くなった後、彼の息子のウンベルト1世は父親の築いた栄光とイタリア国民の貢献を称えるためにこの記念堂を建てました。

建築家サッコーニによって、建設された建物は、当時のローマ人にとって衝撃的でした。古代ローマの時代から使われてきたトラバーチンではなく、大理石を使っているからです。

当時の人々からの評判はよくなく、その容姿からタイプライターや入れ歯などとあだ名がつけられました。しかし時代とともに、この際立った相違点にかかわらず、なくてはならないものになっています。

建設には26年かかり、1900年に無政府主義者によって暗殺されたウンベルト1世の息子ヴィットリオ・エマヌエーレ3世によって落成式が行われました。

現在、この記念堂はアルターレ・デッラ・パトリア、国父の祭壇とも呼ばれ、無名戦士の墓として身元不明の兵士の遺体が埋葬されています。

空からのローマの眺め

これは最上階からではなく柱の踊り場から撮ったものです

内部の階段を登っただけですでにヴィットリアーノに施された装飾と美しい広場の眺めを楽しむことができますが、エレベーターで最上階へ登ることをお勧めします。81mもの高さの場所から眺める景色は息をのむほどの美しさです。

エレベーターの切符は€7で、支払いは現金のみです。