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フォロロマーノ

カンピテッリ地区

フォロ・ロマーノはヴェネツィア広場からコロッセオまでの広いエリアにわたる遺跡が残っている場所です。いろいろな時代の多くの神殿や聖堂、またアーチ型建設物などの遺跡が混在しています。

フォロは重要な行政機関や商店、裁判所などのあった広場で、後に地理的、政治的ローマの中心地となりました。ここでは議員の集まる元老院会議場、裁判が行われた公会堂、宗教儀式のために捧げられた神殿、戦争の勝利を祝うために造られた凱旋門、政治集会を行うことができた柱廊が生まれた場所です。

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歴史

紀元前753年にロームルスがローマを建国したとき、このエリアはじめじめした湿地帯で、死者を埋葬するのに使われていたと考えられています。

紀元前600年ごろ、町が大きくなり始め、このエリアの開拓が始まりました。まずこのエリアは商取引の場として使われ、その後町が大きくなるにつれ、町の中心に位置していたため主に裁判所などの建物が建設されました。

紀元前500年ごろ、王政ローマの最後の王タルクィニウス・スペルブスが追放され、ローマは共和制に移りました。この時期フォロに最初の大きな変革が起こります。ローマ神話の神サートゥルヌスとゼウスの息子ディオスクーロイに捧げられた神殿が造られました。

より大きな変化は紀元前1世紀ジュリアス・シーザーの時代からアウグストゥスの時代にかけて起こります。2つの大きな公会堂であるユリア公会堂とアエミリア公会堂に加え、いくつかの神殿が建設されるなど、フォロ全体が整備されました。

ローマ帝国が崩壊するとフォロは放置され破壊されます。多くの建物から新しい建物を建設するため大理石が剝ぎ取られました。時間の経過とともにフォロは廃墟となり一面草で覆われました。

ここではほんの一部ですが現在まで残っている遺跡をご紹介します。

ティトゥスの凱旋門

81年にフラウィウス家出身の皇帝ドミティアヌスによって建設された凱旋門です。とても良い状態で現在まで残っています。この凱旋門はひどい高熱によって亡くなった兄ティトゥスの記念碑として建てられました。

ドミティアヌスはこのエルサレム陥落を称え、凱旋門のコロッセオ側に次の碑文を刻みました。

”ローマの元老院と市民は、神聖なウェスパシアヌスの子で神聖なティトゥス・ウェスパシアヌス・アウグストゥス(にこの門を捧げる)”

加えて内側に勝利を祝うための2つのレリーフを作成しました。

1つ目のレリーフには、女神ローマに導かれティトゥスが冠を被った勝利の女神ヴィットリアと4頭立ての馬車に乗って凱旋する場面が描かれています。

もう一つにはティトゥスがユダヤ人から奪った戦利品、トランペットや7つの腕を持つ燭台(ロウソク立て)などを荷役が運んでいます。また征服した町の名前が書かれていたであろう看板も見ることができます。

マクセンティウスの公会堂

この建築物はフォロの中で一番大きく、比較的新しいものです。皇帝マクセンティウスによって建設が始められ、312年ミルウィウス橋の戦いでマクセンティウスを破った後のコスタンティヌス帝が完成させました。

他の公会堂と同じように裁判所や商談の場所として使われました。

大きな建物で100m×75m四方、高さ35m。ドーム型ヴォールトと呼ばれる天井、3つの身廊に加え、12mもの高さの大きな皇帝の像がありました。いくつかの像の破片が現在も残っています。

この公会堂の壮大さは黄金に輝く瓦屋根によって完成されましたが、他の多くの建物と同じく、600年ごろ初代サンピエトロ大聖堂の建設のために持ち去られてしまいました。

とはいっても実際この威厳ある建物が破壊されたのは過去にローマで何度か起きている地震が主な原因です。コロッセオの一部が崩壊するほどの大地震が847年に起こり、この巨大な建物も大きな被害を受けた上、そのたった2年後また別の大地震が起こりました。

タブラリウム(公文書館)

タブラリウムはカンピドイオの丘の頂上にコロッセオの反対側一番奥に建てられました。

タブラリウムは行政の公的文書が刻まれた青銅板(ラテン語でタブラエ)が保管された建物です。防御の役割も果たすため凝灰岩によって建設されました。

セプティミウス・セウェルスの凱旋門

セプティミウス・セウェルスの凱旋門はフォロ・ロマーノの中で保存状態の良いもののうちの一つです。セプティミウス・セウェルス皇帝の統治10年を称えるため203年に建設されました。

とても興味深いのは考古学者が発見した碑文です。彼らの絶え間ない研究により、現在残っている彫刻の前に元々書かれていたいくつかの文章が存在していたことが判明し、それらの文章を解読することに成功しました。

そこには皇帝の下の息子ゲタに捧げられた碑文が書かれていましたが、それらは削除され別のものに変更されていたのです。ある人物の存在が一切なかったこととし、あらゆる痕跡を消し去る「ダムナティオ・メモリアエ(記憶の破壊)」が行われたのでした。その原因は彼の兄であるカラカラ帝によるものでした。彼は共同統治していた弟を殺害した後、彼のすべての痕跡を削除したのです。

ウェスタ神殿と巫女たちの家

この神殿は4世紀に建てられた新しいものです。ローマでとても崇拝されているかまどの女神ウェスタに捧げられました。

この神殿の中では常に灯されている聖なる炎が保管されており、ウェスタと呼ばれる巫女によって守られていました。

一般的に巫女は由緒ある家出身の少女たちで、幼いころに任命され30年間勤めます。始めの10年は見習いとして、そして次の10年は実際に聖なる炎を守る役目を果たし、最後の10年は新人の教育を行いました。

任期の30年の間男性と関係を持つことは許されないため、処女を保つ必要がありました。破った場合には死刑を含む厳罰が待っていました。

巫女たちは現在でも銅像が残っている一角、神殿のそばにある家で寝泊まりしていました。

 

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