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チルコ・マッシモ

チルコ・マッシモの現在の様子 リーパ地区

はじめに木造競技場がタルクィヌス・プリスクス王の時代(在位紀元前616年- 紀元前579)にアヴェンティーノの丘とパラティーノの丘に挟まれた低地に造られた。

この低地はムルチアの谷と呼ばれ、サビニの女たちの略奪が行われた場所である。

のちに石造りの円形競技場が建設された。チルコ・マッシモのチルコは円形競技場、マッシモは巨大なという意味、つまり大競技場である。

アウグストゥス帝(在位紀元前27年-紀元前14年)はパラティーノの丘のふもとに皇帝用の専用の観覧席を作った。

エジプトから運んできたオベリスクを飾った。このオベリスクは現在、ポポロ広場に設置されている。こんな巨大なものをエジプトから運んできただけでなく、別の場所に移動させたとは驚きである。

現在はただの広い開けた土地だが、当時はコロッセオのように周囲を観客席に囲まれた巨大な施設であった。長さ620m、幅120m。

25万人が収容可能であったと言われている。

主に4頭立て2輪馬車が走路を7周する競技が行われており、競技はとても激しいもので、死亡事故が起こることも珍しいことではなかった。

現在では、この広場で大規模なイベントやコンサートが開かれている。

 

 

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