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サン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂

モンティ地区

営業時間

月-土 9:00 ~ 12:30 / 15:00~ 18:00

最終入場可能時間 閉まる20分前

入場料

教会部分のみ無料/ 地下見学 10€

住所

Via di San Giovanni in Laterano, 108

 

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サン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂

 

聖堂はコロッセオから簡単に歩いて行ける場所にあります。

コロッセオからサンジョバンニイン・ラテラーノ大聖堂に向かってSan Giovanni in Laterano通りを約200mほど歩いたところに教会の入り口があります。

ちなみにこの教会は写真撮影が禁止されています。

教会の下に教会や寺院がある!?

1階には12世紀に建てられた中世の教会があり、その下には4世紀に建てられた教会、さらにその下にはコスタンティヌス帝の時代ローマでキリスト教徒並んで広まっていたミトラ教の寺院があります。

資材や労力削減のため、すでにある建物の上に新しい建物を上から建てることはよく行われていました。災害や火災などで崩壊した建物でも基盤は再利用できるのでとても要領がいいですね。

現在の教会

まず教会に入ると様々な色や形のタイルが深いハーモニーを感じさせるコズマーティ様式の床の美しさが目を引きます。

このコズマーティ模様はこの教会のではありません。参考まで。

祭壇の前には聖歌隊席があり、その奥には美しいモザイクが後陣にあります。後陣とは祭壇後方に張り出した半円形の部分のことです。この教会でいうと黄金のモザイクが神々しく光り輝いている場所です。

モザイクには十字架にかけられたキリストをはさんで聖母マリアと福音史家の一人サンジョバンニが描かれています。十二使徒を表している12羽の鳩が描かれた十字架、アカンサスの株から派出した生命の樹の下に人と動物が描かれています。

15世紀に加えられた2つの礼拝堂を見ることができます。特に左側の礼拝堂は殉職したアレッサンドリアの聖カトリーナに捧げられたものです。

カテリーナは若く美しいエジプト人で当時最高の教育を受けました。皇帝はキリスト教徒である彼女に信仰を捨てさせようと50人の哲学者を送り込んで説得を試みますが、逆に多くの哲学者が説得され、キリスト教に改宗してしまいます。それに怒った皇帝はカテリーナを牢獄へ。その上、カテリーナに興味を持った皇后が面会に行き、やはりキリスト教に改宗します。その結果、妻は首を切り落とされ、カテリーナは大きな針のついた車輪にひき殺されてしまいました。

 

4世紀の教会

ローマの貴族の邸宅が、教会へと姿を変えた場所です。4世紀ごろキリスト教が広まっていき、教会として使われるようになりました。最終的にこの教会は聖堂になるほど重要視されていたようです。

古代ローマでは教会は人が集まる公共の場所であったり、司法をつかさどる重要な場所でした。信仰だけの場所ではなかったのです。

この頃、3から5つの身廊を持つ全ての教会は聖堂と呼ばれていましたが、今日では、特に重要な教会だけが聖堂という名前が使われています。

この聖堂は、聖クレメンスに捧げられてものです。

聖クレメンスは1世紀終わり頃のローマ教皇で、彼についての記録はあまり残っていませんが、多くの人をキリスト教徒に改宗させたため皇帝の怒りを買い、首に鉄の錨を付けられ海に沈められてしまいました。

 

ローマ様式の建物とミトラ教の寺院

さらに下に降りて3世紀まで時代を遡りましょう。

ここにはこの上なくミステリアスな場所、ペルシアに派兵されたローマ兵や奴隷がローマに持ち帰ったペルシアの神ミトラに捧げられた聖地があります。

ミトラ教の教説によると、太陽神ミトラはこの世に救いをもたらすために岩から生まれました。

救いをもたらすため、牡牛をいけにえに捧げるよう命令したと言われています。

ここにはミトラ教の真理と秘儀を学ぶための場所が用意されていました。

祭壇の周りには、食卓と横になれる椅子があり、クッションやブランケットも用意されていたと考えられています。ここでミトラ教の儀式が行われていたのは事実ですが、多くの詳細は知られていません。

そしてキリスト教徒によって上の教会の基盤にするため破壊されました。

またこの階では、裕福なローマ人の部屋と思われる空っぽのの部屋が残っています。

数多くの部屋があることや、現在でもまだ飲むことが可能な豊富で澄んだ地下水があることから、ここが重要な人物の家があったと分かります。

 

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